当時(昭和48年迄)は輸出が売り上げの95%を占めていたので、輸出企業として安定して進んできたが、新しく国内市場を開拓せざるを得なり、時代の流れで方向転換を迫られた。 昭和初期に日本で初めて機械生産した平楊枝がすぐに折れると国内で評価されないので、輸出に活路を見出し、海外市場を開拓してきたが、為替の問題で輸出が厳しくなれば、慣れない国内市場に目を向けざるを得ない厳しい立場におかれたのである。 当時のつまようじの状況は丸いようじ(片方の先端に溝のついたいわゆるこけしようじ)が市場を席巻していた。これに対し輸出品は丸いようじは両方尖っている。果物や料理を突き刺す道具いわゆるカクテルピックである。国