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昭和20年(1945)~昭和64年(1989)
終戦から昭和の終わりまで
昭和20年(1945)~昭和64年(1989)
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koeisha
No.22 円高の進行・創業者稲葉由太郎逝去
当時(昭和48年迄)は輸出が売り上げの95%を占めていたので、輸出企業として安定して進んできたが、新しく国内市場を開拓せざるを得なり、時代の流れで方向転換を迫られた。 昭和初期に日本で初めて機械生産した平楊枝がすぐに折れると国内で評価されないので、輸出に活路を見出し、海外市場を開拓してきたが、為替の問題で輸出が厳しくなれば、慣れない国内市場に目を向けざるを得ない厳しい立場におかれたのである。 当時のつまようじの状況は丸いようじ(片方の先端に溝のついたいわゆるこけしようじ)が市場を席巻していた。これに対し輸出品は丸いようじは両方尖っている。果物や料理を突き刺す道具いわゆるカクテルピックである。国
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2022年6月24日
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koeisha
No.24 三角ようじ・糸つきようじを薬局で発売
昭和60年「クリアデント」ブランドで「三角ようじ」と「糸つきようじ」を全国の薬局で発売した。 歯間にピッタリ 三角ようじデンタルピック 料理用のようじ カクテルピック 各代理店の営業の方が薬局を訪問して前日の受注品を納品して、新規の注文をとって回る営業活動に同行して、商品説明をして、商品の扱いをお願いして全国を回った。 中には「俺につまようじを売らすのか!」と怒られる先生が幾人もいた。 薬局の先生は薬学部を出られた国家資格を持たれた方で、周りの小売店とは違うと いう自負を持っておられた。元々つまようじは家庭用品の荒物売り場で売られる「ようじ、箸、たわし、包丁、まな板」の類である
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2018年4月27日
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koeisha
No.21 オーストラリア市場開拓・年末年始訪問
帰って大谷さんに話すと喜ばれ、私も行きたいということになり、話すと私の家内も加わりたいとその年の年末年始に訪問することになった。 12月31日にペニーさんの自宅を開放してニューイヤイブのパーティが催された。 家内が英語を話せないのを知っておられたので近くに住む日本の留学生を一緒に呼んで下さっていたので家内も楽しく過ごせた。こういう配慮が行き届いている。あちこちを案内してもらい、最後の1月3日はジャックさんがシドニー湾のクルージングで「さよならパーティ」を催して下さった。招かれたのは我々の他に、サンフランシスコで暮らしているペニーさんの娘さんご夫妻でジャックさんの息子夫婦、娘夫婦、ペニーさん夫婦
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2018年4月25日
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koeisha
No.19 日本製のようじ好きのイタリア市場の開拓
筆者が昭和39年に三共生興㈱に入社した折に、先輩である藤本宏さんがニューヨーク支店への連絡のため各部の連絡事項をテレックスと呼ばれる発信機を使い、毎夜一人で、発信しておられた。幅2センチ程のテープに案件を打つとテープに孔があく。これを作成しておいてKDD(国際電信電話会社)に申込みをする。多くの商社からの申し込みがあるため、順番待ちである。順番がくるとその穴のあいたテープを流す仕組みである。海底ケーブルが普及するまで、電波で飛ばすために道中に雷が発生したりすると上手く送れないこともあり、真夜中まで掛かる過激な仕事を続けておられた。同じ年に入社し、輸出部へ配属された5人 の内の二人がこの仕事を引
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2018年4月24日
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koeisha
No.17スウェーデン生協より三角ようじの生産依頼
昭和35年広栄社は取引先のスウェーデン生協(世界最大の生協組織)より三角ようじの生産の依頼を受けた。 この客は上記の丸い両方とがったようじの陶器樽入りと平楊枝を大量に買っていた会社であり、三角ようじの将来性に着目し、日本での生産を期待されたのである。 これは1960年ノルウェ-で開発された二等辺三角形のつまようじであり、櫛のように繋がっていて一本ずつ折って使う形式で従来のものとは全く違っている。 広栄社の高山工場である丸正産業は平ようじと丸軸を製造し、河内長野へ送っていた。 稲葉滋はその代表者である瓜田宏と相談し、三角ようじの製造機の研究を始めた。 同年渕側綾夫は高山で丸軸を生産し河内
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2018年4月24日
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koeisha
No.15 白樺製平ようじが海外で大人気に
昭和26年 1月26日 文化楊枝バラ 1,793貫 180円 322,790円 〃 同上 箱代 520個 10円 5,200円 2月6日 剥き板 3寸4分幅(生) 165貫 130円 21,450円 3月11日 文化楊枝5ポンド 30個 900貫 180円 162,000円 〃 同上 木箱賃 30個
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2018年4月21日
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koeisha
No.13 白樺の機械製の楊枝が次第に拡がる
この昭和23年に白樺を薄く剥いた板から丸いヒゴ状の軸を刃物で切削する方法が河内長 野の土井金三によって初めて考案された。この工法は丸い白樺製の楊枝を作りたかった業 者の長年の夢であり、これにより製品が飛躍的に良くなり、今日の基礎を成すのである。 同時に丸い楊枝が輸出競争力を持つ大きな理由の一つである。 昭和24年に広栄社は飛騨の高山の丸正産業と提携し、生産を一部委託した。最初は原木 を高山より運んでいたのが、余りにも輸送コストにロスが多く掛かったためである。 そこで半分はそのまま原木を買って河内長野で製造し、残り半分は製品にして運ぶことを 考えた。この年の丸正産業からの納品書が残っているので
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2018年4月20日
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koeisha
No.11 戦後の混乱期の扱い製品
戦後の状況は残っている広栄社の納品書(昭和21年)を見てみると良く判る。 月日 品名 数量 単価 合計 木箱・運賃 7月16日 手製竹材細丸ようじ一本セロ袋 2,200袋 60銭 1,320円 1梱26.5円 〃 竹丸ようじバラ 4貫440匁 325,600本 3銭 976.3円 〃 黒文字2寸セロ入
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2018年4月19日
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toothpickhistory
15-2 昭和31年の平ようじの製造工程
1.原材料の白樺の原木を購入し、自前のプールで保存 2.プールから引き揚げて吊り で寸法切り 3.24時間煮沸して樹皮を取る 4.ロータリーと呼ぶ剥き機で約1㎜の厚さに剥くと同時に幅50㎜に切断 5.楊枝の形の金型で打ち抜き加工で平ようじが出来る 6.出来た平ようじを天日乾燥 7.乾燥後に摩擦機に入れ、回転させて滑らかにする 8.バラバラの平ようじを揃え機で整列させる 9. 整列した平ようじを輸出用小箱に入れ包装加工
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2021年6月13日
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koeisha
No.23 三角ようじをサンスターで発売
昭和48年頃から円高が進行し輸出の環境が厳しくなってきたので内容に変化が現れ出し た。例えばそれまでイタリアに良く出ていた小箱入りの両先のつまようじがコスト高にな り、代わってつまようじだけをバラで輸出するようになってきた。この背景にはイタリア での包装機械の発展やコンテナ船による戸口から戸口への大量輸送のコスト削減も見逃せ ない。 黒文字ようじは需要があるのにその素材の都合で人手に頼らざるを得ず、慢性的な品不足が続いていた。これを解決するため菊水産業(株)の場工耕司は困難な機械化に踏み切り、多くの工程を独自に開発した機械で加工出来るように工夫しその量産化に道を開いた。これにより黒文字ようじ
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2018年4月25日
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koeisha
No.20 スイスでの三角ようじの展開
スイスでは、歯ブラシメーカーと同様の関係が出来上がり、相手先ブランドの三角ようじを円高によって競争力が弱まるまで長く供給出来た。 スイスの歯ブラシメーカーのパンフレット 一方、大正末期から昭和初期にかけて輸入機械を使って平楊枝を作るために、苦労していた折に、技術面で助けてもらったご縁で㈱大谷貿易妻楊枝(大谷亀吉氏・大正9年創業)とは昭和の初めから平楊枝(刃物で打ち抜く、キャンディ棒、スプーン、太刀型の菓子ようじ等)と丸楊枝の相互関係が出来上がり兄弟会社としての関係が長く続いている。その二代目大谷忠弘氏は父親譲りの技術者で、三代目の大谷昌平氏は輸出業務を担当されていた。
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2018年4月24日
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koeisha
No.18 三角ようじ製造機の開発に成功
昭和38年高山市の瓜田宏は苦心惨憺の末、三角ようじの機械の開発に成功を収めた。 三年間の試行錯誤の末に製造機が完成した。 出来上がった製品はささくれだったようなものが混じったものだったがスウェーデン生協へ送ると開発期間の短さに驚かれ、早速導入したいと、パッケージのデザインが届いた。三角ようじのOEM供給(相手先ブランドに よる生産受託)の始まりで、広栄社は全く新しい分野に参入することになる。 筆者は大学卒業後、三共生興㈱輸出部に就職、三年間勤務の後に、昭和42年に㈱広栄社に入社した。 入社三年後の昭和45年(大阪万博が開催された年)に、新しい三角ようじの海外市場調査の必要性を社長である父
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2018年4月24日
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koeisha
No.16二代目滋が陶器入り楊枝を開発業界を活性化
昭和27年溝之上一義は丸い楊枝の先端を削る(先付け)機械を開発する。現在の機械の 原型を成すものである。白樺製の丸い軸が機械で出来るようになったのにそれを切断して つまようじの長さにした後、先を削る工程で思うように生産が出来なかった。この機械の 出現で河内長野の二次加工即ち丸軸を仕入れてつまようじに加工する業界の形態が定着す る。 昭和29年荒木千代造は花楊枝を考案する。河内長野では葬儀の時、半紙を折って切り目 をいれ、割り箸に巻くと白い花が開いたようになり仏前に供える風習がある。これを楊枝 に応用し色のついたセロファンを使ったので綺麗な飾り付き楊枝になった。これがアメリカで食卓を飾るパ-テ
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2018年4月23日
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koeisha
No.14 打ち抜き機械製平ようじ・スプーンを生産
昭和25年 1月5日 文化楊枝5ボンド 10個 300貫 150円 45,000円 〃 同上木箱 10個 500円 5,000円 〃 同上ボール箱運賃共 500個 15円 8,000円 〃 紙ひもハトロン紙
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2018年4月20日
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koeisha
No.12 白樺製機械ようじ・太刀型が徐々に市場に
以上から判るのは 1.戦後は手製の竹や黒文字の楊枝から少しずつ始まった。戦後の混乱期であり、機械生 産に到るまでの過渡的な状態の時には近隣の竹材は貴重な材料であった。 2.木製・丸ようじは機械製も少しながら作られかけた。 3.歯ブラシや歯磨きが扱われているのが注目される。 この頃、溝之上一義は姫路よりマッチの軸木を買って先を削り、角楊枝を作っていた。 昭和23年8月に起草された大阪妻楊枝製造販売組合の定款(表紙は著者の父、滋の字である)が残っている。 その中の主だった条文を下記に掲載する。これにより当時の状況が窺える。 第1条 本組合は妻楊枝製造及び販売業者を以て組織す
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2018年4月20日
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