スイスでは、歯ブラシメーカーと同様の関係が出来上がり、相手先ブランドの三角ようじを円高によって競争力が弱まるまで長く供給出来た。
スイスの歯ブラシメーカーのパンフレット
一方、大正末期から昭和初期にかけて輸入機械を使って平楊枝を作るために、苦労していた折に、技術面で助けてもらったご縁で㈱大谷貿易妻楊枝(大谷亀吉氏・大正9年創業)とは昭和の初めから平楊枝(刃物で打ち抜く、キャンディ棒、スプーン、太刀型の菓子ようじ等)と丸楊枝の相互関係が出来上がり兄弟会社としての関係が長く続いている。その二代目大谷忠弘氏は父親譲りの技術者で、三代目の大谷昌平氏は輸出業務を担当されていた。 その関係から私が海外へ出張する折についでに寄って欲と依頼されイラン・テヘラン のアイスクリームメーカーを訪問し、商談した。 ある時は私の旅行に同行され、彼のお得意先のアイルランドのアイスクリームメーカーを 訪問した。私はヨーロッパへ旅行する時、ユーレイルパス(外国人がッパの鉄道を安価に自由に乗れるシステム)を利用し、ホテルの予約は取らずに、駅の案内で探してもらって宿をとるのが常だった。ロンドンからダブリンへの飛行機は労使交渉が長引き、出発が大幅に遅れた。着いたのは夜中の2時(2月)。駅の案内所は閉まっている。仕方な片っ端からへ電話をした。誰も出てくれない。寒い飛行場で寝るしかないと諦めかけた時、よやく一情を話すと来いという慌ててタクシー乗り場に行くと長い列が続いている。早く行かないとならないので一番前の客に事を話して相乗りの了解二客を送ってからホテルへ着いたが電話して2時間近く経っていたので電気が消えている。折角来たのにと思っているとタクシーの運転手が公衆電話のところまで行って、ホテルに電話するから心配するなという。15分程待っていると電話が鳴って、起きてくれた。心配して戻ってきてくれた運転手は、我々がホテルに入るのを確認して帰って行った。人の親切が身にしみた。翌朝、アイスクリームメーカーの担当者に電話すると迎えに来てくれた。どうしてこんな小さなホテルにっているんだと笑われた。事情を説明するとホテルの主人にお礼をいってくれた。大変な目にあったが今になると忘れられない思い出として残っている。
オーストラリアにも大谷さんのよい顧客があった。ある時、その客が来る方来てほしいと依頼があった。そのお客(ペニーさん)がいうには今回初めて訪問して作っている色々な商品を見て、もっと取引きが広がるだろうと実感したので、是非オーストラリアにも来て欲しいと要請を受けた。そこで翌年、ヨーロッパを回った後、ギリシャからクウェイトの客を(平ようじを大量に買ってくれている)訪問し、シンガポール経由でオーストラリアのシドニーを訪問した。行って分かったのだが、別の会社(ジャックさん)があり、パーティ用品のメーカーでここが日本から輸入しそれをペニーさんは販売しているのだという。 丁度 大谷さんと私共のような関係になっていることが分かった。それで作っている商品をみせてもらうと、それなら日本からもっと提案したいものがあるなどとおおいに仕事の話が進展した。来日したペニーさんが感じたのと同じ思いで相互訪問の大切さを痛感した。