昭和38年高山市の瓜田宏は苦心惨憺の末、三角ようじの機械の開発に成功を収めた。 三年間の試行錯誤の末に製造機が完成した。
出来上がった製品はささくれだったようなものが混じったものだったがスウェーデン生協へ送ると開発期間の短さに驚かれ、早速導入したいと、パッケージのデザインが届いた。三角ようじのOEM供給(相手先ブランドに よる生産受託)の始まりで、広栄社は全く新しい分野に参入することになる。 筆者は大学卒業後、三共生興㈱輸出部に就職、三年間勤務の後に、昭和42年に㈱広栄社に入社した。 入社三年後の昭和45年(大阪万博が開催された年)に、新しい三角ようじの海外市場調査の必要性を社長である父に提案したところ、それなら調べてみろと許可してくれたので単身、スウェーデン、デンマーク、フィンランドを訪問した。 北欧では三角ようじの位置づけが高く、「Gum massager」として販売されている。歯ブラシが届かない歯と歯の間の歯間乳頭を軽く押してマッサージする道具なのである。 それにより歯ぐきの血流がよくなり、歯周病に強い歯周組織を作るという説明を訪れたスウェーデン生協の担当者に教えてもらった。歯ぐきがそんなに重要との意識がなかったので流石に北欧は進んでいると実感した。デンマーク、フィンランドでは輸入業者を訪ねたが同じことで歯の予防に対する意識とそれを広めようと使命感がとても強い。 ところが北欧諸国はそれぞれ人口が数百万人である。これでは絶対数が足りないと感じて ヨーロッパ全域への案内の必要性を感じ、毎年のように訪欧し、各国への販路拡大を試みた。大阪府立図書館でヨーロッパの歯ブラシメーカーを調べておいて、現地近くから電話で面会を求めたが断られたことは一度もなかった。先方にはなにか新しい情報を聞けるのではという期待感があったためである。当時、歯ブラシメーカーは歯ブラシの他にはフロス(歯と歯の間に糸を通して汚れを取る)とミラーしかなかったので新しい商品が求められていた。 歯間ブラシは珍しく、たまにあった歯間ブラシはハンドルがついていなくて、歯間ブラシのワイヤーを長くして、長くしたワイヤーをハンドルにして持ち手の先端が丸い輪になっていた。ということは歯間ブラシの先端のねじったワイヤーを切断したままであった。現在の歯間ブラシの先端は丸くなっていて安全であるが、その逆になっていた。そういうものであっても歯と歯の汚れを取って歯を守ろうとする意識は凄い。 訪問先の歯ブラシメーカーの担当者に北欧では三角ようじが普及しかけていて、歯と歯の間の歯間乳頭をマッサージするものはこれしかなく歯ぐきの血流を増加させ、歯周病に強い歯ぐきを作るために必要だと話すと大変興味を持ってもらえた。中には話の途中から他の部門の担当者を呼ぶので、もう一度説明して欲しいと頼まれることも多かった。それだけ商品の間口を広げたかったのである。 こうしてヨーロッパに三角ようじが少しずつ普及していった。顧客の三角ようじのパンフレットには必ず北欧の歯科の先生方の推薦文が紹介されていた。 歯の先進国である北欧のイメージはヨーロッパでは大変強い。日本でも同様である。
スェーデン生協のパンフレット