次に稲葉由太郎が残した大正9年の原価計算表を示し、当時の製造業の内容を見てみる。 原木(キブシ、マメブシ) 100貫 20円
荒割り 100貫 3円
ヒゴヒキ(丸いヒゴ状にする) 6人 4円20銭(1人1日70銭)
棒切(ヒゴを楊枝の寸法に切る) 20貫 1円50銭
先付け(先を尖らす) 15貫 7円50銭
加工(楊枝を束ねる) 1日分 2円
油・雑費 1円
運賃・箱代 1円50銭
電気動力費 80銭
事務所経費 2円
器具損料 1円
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合計 (100貫で60万本の原価)44円50銭
参考までに 大正6年 アンパン 2銭
郵便封書4匁(15g)まで 3銭
葉書 1銭5厘
値段の風俗史(朝日新聞社 昭和56年(1981)より)
大正4年の大阪府農家副業品調査書の収支と比較すると、三重県での生産は河内長野の 約半分のコストで出来ていたことが判る。
妻楊枝製造の状況を全国規模で考え、自社の製造においても数々の工夫を凝らし、量産化とコストダウンを次々実現させていたので周りの注目を集め、信頼を得ていった。 全国の楊枝の製造・販売状況を把握し、自らも関勢社として河内長野から黒文字ようじを買い、河内長野へ丸妻楊枝を販売していた実績から稲葉由太郎は次の結論に到る。
1.一般に使われている丸妻楊枝(キブシ製)の製造は三重県が断然多く、安い。
2.河内長野は黒文字楊枝の製造が主であり、丸妻楊枝の製造が少ない。
3.河内長野は堺・大阪・京都・神戸等の大きな消費地に近く、既に黒文字楊枝で販路が出来ている。
4.三重県の製造と河内長野の販売の提携こそ妻楊枝の製造と販売にとって両者の今後にとり大切である。
そこで三重県での製造の大同団結と河内長野の仕入れの一本化の構想をまとめ、その実現 に向けて精力的に動くのである。 まず、河内長野の業者を説得し、その仕入れ機関となる日本妻楊枝株式会社が設立される。 大正9年9月21日の事である。
続いて、三重県の製造業者が合同出資して東洋妻楊枝株式会社を設立(設立経緯参照、これに河内長野の業者にも出資を依頼し、その結合の深さを示す。
大正10年12月27日 登記 (東洋妻楊枝起業趣意書参照) (東洋妻楊枝株式会社の定款と設立登記を知らす伊勢新聞) そして、東洋妻楊枝(株)は日本妻楊枝(株)との間に売買契約を結ぶ。 大正10年12月12日 このようにして丸妻楊枝の製造と販売の分業体制が確立し、河内長野は楊枝の集散地としての地歩を築くことが出来た。