広栄社の創業者であり、祖父である稲葉由太郎(明治17年生)は23歳で中谷富三郎の娘ハツと結婚し米屋の跡を継いだ。当時、米の価格は相場制で大変儲けたのである。少し下り坂の時に友人より市会議員立候補の話を持ち込まれた。自分にはその能力がないことを自覚していたので、逆にその友人の後押しをすることになる。その結果、選挙違反で免許制の米屋を続けられなくなった。 そこで地味な生き方を求めて、伊賀名張の矢持村で楊枝を製造している谷本氏を訪ねた。彼は河内長野へ販売しており、助力を要請され手伝うこと2年。仕事のやり方で意見が別れる。 大正6年、34才の時三重県鈴鹿の関町で地元の有力者の今井直次郎氏を社長とし、関