15-2 昭和31年の平ようじの製造工程
1.原材料の白樺の原木を購入し、自前のプールで保存
2.プールから引き揚げて吊り
で寸法切り
3.24時間煮沸して樹皮を取る
4.ロータリーと呼ぶ剥き機で約1㎜の厚さに剥くと同時に幅50㎜に切断
5.楊枝の形の金型で打ち抜き加工で平ようじが出来る


1.原材料の白樺の原木を購入し、自前のプールで保存
2.プールから引き揚げて吊り
で寸法切り
3.24時間煮沸して樹皮を取る
4.ロータリーと呼ぶ剥き機で約1㎜の厚さに剥くと同時に幅50㎜に切断
5.楊枝の形の金型で打ち抜き加工で平ようじが出来る

昭和60年「クリアデント」ブランドで「三角ようじ」と「糸つきようじ」を全国の薬局で発売した。


歯間にピッタリ 三角ようじデンタルピック
料理用のようじ カクテルピック
各代理店の営業の方が薬局を訪問して前日の受注品を納品して、新規の注文をとって回る営業活動に同行して、商品説明をして、商品の扱いをお願いして全国を回った。 中には「俺につまようじを売らすのか!」と怒られる先生が幾人もいた。 薬局の先生は薬学部を出られた国家資格を持たれた方で、周りの小売店とは違うと いう自負を持っておられた。元々つまようじは家庭用品の荒物売り場で売られる「ようじ、箸、たわし、包丁、まな板」の類である。そういう説明の要らないものを売らせるのかという意味である。「そこで先生の言っておられるのは丸いようじです。欧米では歯に使われるようじは三角形でデンタルピックを呼ばれ別物です。欧米では薬局で売られる商品です」と説明して回った。 三角ようじそのものも初めてなら、歯を守る道具であるという発想もないのだから無理もない 話である。 各方面の営業の方と回るなかで、同じ説明を店毎にするのだから、営業の方がまず理解してくれて、私が話す前に先に説明してくれるようになってきた。 なるほど、同行販売とは営業の方に理解してもらえるのかと感心する。本人も実際に使ってみて、その良さに納得する。時間がかかって、地味だがこういうことしか広く知ってもらう方法はないのだと納得する。
昭和48年頃から円高が進行し輸出の環境が厳しくなってきたので内容に変化が現れ出し た。例えばそれまでイタリアに良く出ていた小箱入りの両先のつまようじがコスト高にな り、代わってつまようじだけをバラで輸出するようになってきた。この背景にはイタリア での包装機械の発展やコンテナ船による戸口から戸口への大量輸送のコスト削減も見逃せ ない。
黒文字ようじは需要があるのにその素材の都合で人手に頼らざるを得ず、慢性的な品不足が続いていた。これを解決するため菊水産業(株)の場工耕司は困難な機械化に踏み切り、多くの工程を独自に開発した機械で加工出来るように工夫しその量産化に道を開いた。これにより黒文字ようじのみならずつまようじの産地としての面目が保たれたのである。
昭和51年に大阪府妻楊枝協同組合は今木誠造の論文を借用して業界の小冊子を作成した それによると業者数21社・出荷額内需向け18億、輸出向け10億円である。
当時の協同組合の理事長・溝之上一義は包装作業の合理化を進めるために自動包装機の共同開発を強力に推進し、業界の近代化に貢献した。
広栄社は昭和37年以来主にヨ-ロッパの歯ブラシメ-カ-へ三角ようじを輸出してきた 実績から何とか我が国でも三角ようじの普及を図りたいと考えていた。
最初に採用してくれたのは日本バイエル歯科(㈱でこの会社は歯科医院向け商品を作って おり、親会社がドイツでもあるので三角ようじの認識が進んでいたものと思われる。 先方の名を入れた輸出品によく似たパッケージに三角ようじを入れて販売した。
当時(昭和48年迄)は輸出が売り上げの95%を占めていたので、輸出企業として安定して進んできたが、新しく国内市場を開拓せざるを得なり、時代の流れで方向転換を迫られた。 昭和初期に日本で初めて機械生産した平楊枝がすぐに折れると国内で評価されないので、輸出に活路を見出し、海外市場を開拓してきたが、為替の問題で輸出が厳しくなれば、慣れない国内市場に目を向けざるを得ない厳しい立場におかれたのである。 当時のつまようじの状況は丸いようじ(片方の先端に溝のついたいわゆるこけしようじ)が市場を席巻していた。これに対し輸出品は丸いようじは両方尖っている。果物や料理を突き刺す道具いわゆるカクテルピックである。国内と 出では商品が全く違う。 太さも国内2.2ミリ、輸出品は2.0ミリ。長さも国内は60ミリ、海外は67ミリと違っている。規格が違うので製造機も違う。しかも変動制になって円は次第に強くなっていく。 長い取引関係があるので海外から引き合いは同じようにくるが、為替の関係で先方へは価格が高くなる。仕方なく、コストを切り詰め、利益を落としての取引を続けながら、国内市場を開拓しなければならないが、そう簡単ではない。なにしろ国内市場はようじといえば丸いこけしようじである。
ちなみに丸いようじで片方しか尖っていないのは日本だけである。
海外向けのカクテルピック

国内向けのこけしようじ


二代目社長の稲葉滋は初代がアメリカから機械を導入して苦労して作った平楊枝が丸いようじに馴染んでいた日本人に受け入れられないと分かると海外市場の開拓に取り組んだ。500本、750本を小箱に入れた{KING}ブランドの見本をカバンに詰め込み、大阪・神戸の貿易商社をなめつくすように訪ねて海外の客先にオファーをしてくれるように依頼して回った。ようじは海外でも使うのですか?という質問が多かった。そのたびに歯がある限りようじは必要ですと説いて回った。歩きまわるので靴の消耗が激しかった。靴を履き潰すほど歩いたという証拠だと誇りにしていた。
伸び盛りの日本にはドルが必要だったので輸出貢献企業の看板が通産省から届き、玄関に掛けた。これが二代目の稲葉滋の勲章だと思っている。